感性のカタコンベ

毎日たくさんの感性を押し殺している

人間性を保ちたいので、ブログを始めた。

 

今年、私は社会人になった。一人暮らしをはじめて5回目の夏を迎えている。

 

 

社会人はキツい。

 

 

メチャクチャ手垢のついた言葉である。

 

 

私が学生時代に縁のあった人生の先輩達は、なぜか皆半笑いで

「いや〜社会人はキツいよ(笑)今のうちに遊んどきなよ(笑)」

と言うのだった。

 

バイト・授業・課題・家事・オタ活に常に忙しくしていた学生だった私は、社会人になることでこれ以上人生がキツくなるのなら、家にある同人誌を全部食って窒息死してやろうと思っていた。

学生時代なんて人生で一番楽しいんだから、と半笑いでアドバイスをされると、自分が今必死に生きていることを軽んじられているような気がして、怒りさえ覚えたものだ。

 

 

ただ、実際社会に出てみると、キツいのだ。社会人、キツい(笑)のだ。

自分が想像していたのとは全く別のキツさに見舞われている。仕事関連のストレスとかとりあえず置いておいて一番キツいのが、適度な雑談をする人間が身近にいないということ。

 

 

孤独なのである。

自分が感じたことをライトに話せる人間が身の回りにいない。

 

これがめっちゃキツい。

 

大学時代は、学校に行けば誰かしら仲のいい友達が居て、目的もなく一日中食堂でダベったりできた。

小中高大ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染と晩御飯を作りあい、絵の作家論の話なんかもした。バイト先のアニメコラボカフェでは、オタクの同僚達と自ジャンルの布教のし合いをした。落ち込んだ時には、近所の大学生だった彼氏が車を出してドライブに連れていってくれて、将来の話なんかもした。

 

今の日常生活で、こういった人間関係を持つのは難しい。

自分が思っていたより数倍も、学生生活は楽しかったし、恵まれていた。

 

今なら諸先輩方がなぜ半笑いで社会人のキツさを伝えてきたかわかる。

学生時代にしか作れない種類の思い出は数多く存在する。楽しかった学生時代に想いを馳せ、時の流れの速さに愕然とし、当時とは全く違う環境で忙殺されている自分を客観視すると、人間、半笑いにならざるを得ない。

 

私もとうとう立派な「社会人キツいよ(笑)」サイドの人間になってしまった。

 

 

 

もうね、毎日親しい人と顔を合わせて会話したい。毎日友達と明るいうちから酒飲んで腹筋攣るぐらい笑いたい。自分以外の人間が紡ぐ言葉に、その人の人間性を感じて温かみを感じるなどしたい。

 

人と関わらなくなると、「人に伝えるための言葉」が全く喋れなくなることを実感している。

言語野の先っちょだけを使って、Twitter上で奇声を上げるキモ・オタクと化してしまっている私が言うんだから間違いない。

推しの新しい素晴らしくカッコいいジャケ写を見て、「アア〜〜〜〜」としか言えない自分が恥ずかしい。もっと人間らしく喋りたい。せめて人間でいたい…

 

 

私には今、「日本語を操りたい欲求」がある。

 

私が感じたものごとが、毎日私の中でうまく消化しきれず、死んでいくことに耐えられなくなった。

1日生活すると、「人に喋りたかったけど喋れなかった考えと言葉」で頭と喉がいっぱいで、息が詰まりそうになる。

仕事で上司と話すときほど気を遣わず、Twitterで呟くほどひとり言的でない言葉をどこかに残したい。

 

 

このブログはそういった「人に喋りたかったけど喋れなかった言葉」の墓場にしようと思う。

私の喉の奥で死んでった言葉を、積極的に目に見える形で弔いたい。

 

 

たまに、ここに墓参りに来てほしいです。おもしろい墓場にしていきたいと思いますので。